今週は、周りの人の愚痴を、たくさん聞く1週間でした。

みんな、いろいろあるんだなぁ。


愚痴を聞くときの、私。

ふんふん頷きながら聞く。
時に驚く。
時に共感する。
たまに愚痴の対象になってるものの気持ちになって、思ったことを言ってみる。
(大抵、その意見はスルーされるか、そんなことないと否定される。)
そしてまた、愚痴を言ってる人の話を聞く。


とにかく、聞いてます。

自分が話すのは苦手だし、
他人の話を聞くのが好きだから、
聞き役に徹することは、苦じゃない。

ちょっと前は、
「愚痴ばかり言う人は大嫌い!」
と、愚痴を聞かされるたびにイライラしてたけど……。

いまは、
「愚痴は聞くけど、共鳴しない」
というスタンスにしたので、そこまで自分に負担がかからなくなった。

愚痴を言ってる人に深く共感すると、その人の怒りや悲しみの感情に引きずられて、自分までシンドくなってくる。
(結果、イライラする)


それに、聞いてる私は、愚痴の対象になってるものや人と、その人との関係性を詳しく知らない。
当事者ではない。状況も知らない。
なので、適切な判断やアドバイスができるはずもない。

だからなるべく割り切って、客観的に、人の愚痴を聞くことにした。

そしたらだいぶ、愚痴を聞くことのストレスが減った。


そもそも。
愚痴を言う人は、ただ、言いたいだけなのだ。
聞いてもらいたい訳ではなく、言って、スッキリしたいだけなのだ。

前は、その対象に自分が選ばれることを、不満に思ってたけど……。
(私は愚痴聞き屋じゃない! 不満のはけ口に私を使うな!って思ってた)

今は、
「聞き役に選んでもらえるなんて、ありがたいですなー。」
くらいに、思えるようになってきた。

さんざん愚痴を言って、サッパリした顔になってる相手を見ると、お役に立てた感じもする。


小学生の頃。
将来の夢について、友だちと話してたとき。
「精神科の先生とか向いてそう」
「保健室の先生にいそう」
「白衣着てる仕事が似合いそう」
と言われたことを思い出す。

大人になっても
「保育園の先生っぽい」
と言われたり、
実際に、保育園の先生に
「先生より先生っぽいけど先生じゃないからー」
と言われたりする。

性格診断や適職診断の結果にも
「先生」や「カウンセラー」
という文字が並ぶ。

つまり
「他人の話を聞く」
が、
「私の特技」で、
「私が他人の役に立てること」
なんだろう。


人の愚痴を聞く1週間は、
自分の「特技」や「適職」がわかった1週間でもあったのでした。
ありがたいですなー。

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はなし、きき〼。