年長さんが、
「ランドセルとどいた〜」
という話をしている。
Twitterで、発達グレーゾーンの子を持つ親御さんが、小学校について悩んでいる。
そんな光景を見て、
「私も、来年の夏は、小学校の準備でバタバタしてるんだろうなぁ」
と、そわそわした気持ちになります。
このままいけば、息子は、近所の小学校の通常学級。
または、特別支援学級。
保育園は、先生たちが、非定型発達の子をケアしてくれるから安心。
でも、小学校の通常学級は、先生がケアなんてできないだろう。
だとすると、特別支援学級のほうが、先生も息子もストレスが少ないのだろうか。
息子は、
「みんなと同じ」
ことをするのが苦手。
みんなが遊んでるオモチャは、自分も遊びたいと言う。
でも、みんなが遊んでるゲーム(鬼ごっこやおままごとなど、ルールがあるもの)は、一緒に遊べない。
軽度の知的な遅れがあり、ルールが理解できないというのもある。
それ以上に、「みんなで同じ動きをする」のが苦手。
保育園の、お歌の時間・英語の時間・体操の時間。
みんなと一緒にやることを拒否する。
先生は強制しないので、その時間は、1人ではじっこに座ってる。
みんなのことを、じっと見ている。
お歌も英語も体操もキライなのか?
というと、そうではない。
家では、保育園で教わった歌を熱唱してるし、英語の歌もうたう。
体操も、「ママできる?」と、教わったことを見せてくれる。
みんなと一緒にできないだけで、嫌いではないのだ。
先週も、保育園の夏祭りで、息子は盆踊りを拒否した。
盆踊りの拒否は、これで5回目。
1度もみんなと踊ってるのを見たことがない。
でも、はじっこに座って、みんなのことを見ながら、ドラえもん音頭を熱唱する息子は楽しそうだった。
みんなと同じことができない。
でも、自分なりのやり方で、息子は楽しんでいる。
本人がそれで良いなら、同じことができなくても良いじゃないか。
と、私は思う。
でも、
「みんなと同じことができる子」が「良い子」で、
「みんなと同じことができない子」は「問題児」
になってしまう日本の学校で、苦労するだろうなぁと思う。
大人になっても、みんなに合わせられないと、
「空気が読めない」
「つきあいが悪い」
などと言われてしまうのだ。
( これは多分、「みんなと同じ」を強要する、学校教育の弊害。 )
みんなと同じじゃない、マイノリティーに、日本は厳しい。
日本以外の国を視野に入れてる親御さんもいるけど。。。
そうすると、優秀な人やマイノリティーは、どんどん日本から離れていくだろう。
日本に残されるのは、高齢者ばかり。。。
日本が豊かな国になるには。
マイノリティーに寛容な国になるには。
まず、教育が変わらないといけない。
と思うんだけど、どうだろう?
以前、地毛の茶髪を黒染め強要された子がニュースになりましたが……。
それに対して、フィンランドの学生が、
「学校は勉強するところよ。ファッションは関係ないわ」
と言っていて、ごもっとも!と思いました。
同じ髪の色、同じ制服を着ていたら、みんな優秀になる。
わけではない。
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